プロフィール

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はじめまして!
当サイト【キャリア・コンパス】で記事を執筆している、マルです

今日はプロフィールを見にきていただき、ありがとうございます!

実を言うと僕は、
パワハラの被害を受け退職を余儀なくされた、辛い経験があります。

そんな辛い経験は、その後の生活にどう影響を及ぼしたのか?
なぜブログを書き始めたのか?

そして、今後ブログで発信したいことを伝えられたらと思います。

最後まで読んでいただければ幸いです

退職後にブログを始めようと思った理由

僕がブログを始めたきっかけは、パワハラ被害で退職を余儀なくされたからです。

長く勤めた会社だったので、【退職】と言う選択肢はかなり悩みました。

でも、「辞める」は「逃げる」ではないことに気づき、退職に至りました。

しかし、
「逃げる」ではなく、「自己防衛」だと受け入れるまで、かなり時間はかかりました。
それは、お世話になっていた会社に思い入れが強くあったからです。

お世話になった会社を【辞める】という選択肢

最後に勤めた会社には、約15年お世話になりました。

その会社に勤める前は職場を転々とすることが多く、僕にとって15年はかなり長い勤続年数になります。

長く続けられた理由の一つは、「現場を自分に任せてもらえた」ことでした。
これにより、
自分で工夫をして効率をあげたり、品質が向上したりとやりがいを持つことができました。

さらに続けられた理由は、入社当時から可愛がってくれた上司の存在でした。

今思うと最初から順調ではなかった

じつは、その会社では入社してすぐに仲間外れにあっていました。
これは僕だけではなく、同じ理由で入社した人が標的になっています。

その会社では、従業員の高齢化が進んでいて、存続するには後継者が必要な時期でした。

そこで僕に声がかかり、その会社にお世話になることになります。
そして、
同様の理由から、同じタイミングで数名入社していますが、全て標的になっていました。

救いの手が差し伸べられた

元々負けん気が強い性格だったので、仲間外れにされても、陰口を叩かれても大丈夫でした。

それどころか、「今にみてろ!

という、強い気持ちがありました。

しかし、思いとは裏腹に仲間外れの影響は、思いのほかありました。
仕事、居場所、モチベーションなど、さまざまです。

そんな時、手を差し伸べてくれたのが【直属の上司】でした。

仕事の連携がうまくいかない時には、担当者を集め話し合いの場を設けてくれました。
それでも悩みが解決できない時は、食事に誘ってくれたり、仕事終わりにグチもきいてくれました。

そして、僕自身もそんな上司の期待に応えようと、必死に頑張ってきました。

それが功を奏したのか、周りも少しずつ僕を受け入れてくれました。

「自分も手を差し伸べる人間になろう」

しかし、自分と同時期に入社した人のなかに、未だ周りから受け入れてもらえない人もいました。
本人の頑張りが足りないのかもしれませんが、「いつまで鎖国気分でいるの?」と・・・・

そこで、
上司から受けた恩に感銘を受けていた僕は、自分も人を助けられる人間になろうと決意しました。

忙しい部署には、仲間外れになっている人と一緒に、率先して手伝いに入りました。
また社長には、親睦会も兼ねてボーリング大会の開催もお願いしました。

僕自身は管理職でもないので、権限がありません。
だから、みんなと同じ目線で「できること」を徹底して頑張りました。

おそらく、手を差し伸べてくれた上司に憧れがあったのでしょう。
少しでも上司のような人になりたくて、ガムシャラに頑張った時期でした。

紆余曲折あり全て乗り越えてきた、けど・・・・

ガムシャラに頑張ってきた甲斐があったのか、周りが気にならなくなった。
何より、周りが受け入れてくれ、認めてくれた

それは、僕だけではなく同じ目にあっていた人たちも、受け入れてもらえていた。

そんな苦難からスタートした会社でしたが、仕事内容は好きで楽しかった。
色んな仕事を転々としてきた自分が、はじめて【働ける間は、この会社で頑張ろう】と思えた。

もちろん、全てが順風満帆ではありませんでした。

仕事のことでモメることもあったし、心無い同僚にお金をだまし取られそうにもなりました。

そのたびに、上司をはじめてした周りの人達に支えられ乗り越えてきました。

しかし、
何かが変わると言うのは【本当に突然なんだ】と実感させられることが起きます

お世話になっていた上司が豹変する

これまで、何があっても味方をしてくれていた尊敬する上司。

もちろん、問題が起これば注意もしてくるし、叱られることもありました。
それら全てを含め、【尊敬に値する上司】でした。

そんな上司が、ある日を境に僕を無視し始めました。

理由なんてわかりません・・・

他愛もない世間話はもちろん、仕事の報連相すらまともにしてくれなくなりました。

しばらくは、「ムシの居所が悪いのだろう」位に捉えていました。
しかし、それはいつまでも続きました。

それは、「自分から話しかけないからだろ?」と思われるでしょう。

違うんです。
話しかけても、必要最小限で会話を切られてしまうのです。

変ることがないマイナスの状況

そっけない態度を続けられてしまうので、こちらから話しかけるのも億劫になってきました。

しかし、仕事ではそうもいきません。

業務に関する報連相を怠る訳にいかないので、確認にいくと「いつも通り」と、ひと言で終わり。
挙句には、僕の机の上にメモ紙を置いて連絡事項を伝えてくるようになりました。

この頃には、何が何だかわからなくなってきています。

上司だけに関わらず、会社内全ての人が信用できなくなってきました。

不思議なもので、

人って自分を信用していない人を、信用しなくなるんです

それが顕著に表れ、僕の部署で一緒に働いていた人が離れていく感じがしました。

自分が信用しないからなのか?
それが伝わってしまっていたからなのか?
ただの気のせいなのか・・

今となっては真実はわかりませんが、状況は悪化する一方でした。

変らない状況で自分が変ってしまった

周り全てが信用できない状況が続いたことで、精神が蝕まれはじめます。

最初はとくに影響はなかったのですが、次第に不眠症になります。
朝起きたら、「あの職場に行かないといけない」そんな強迫観念からなのか、寝たくないと思い始めます。

それが本能的なものに変わるのか、眠れなくなりました。
それでも家族を養う立場上「仕事に行かないと」と、義務感のように会社に行っていました。

しかし、顔色が悪くなり、人と会うのが怖くなり、周りには警戒心しかない状況に・・・

そんな僕を妻は、当然 心配します。

今でこそ文章で当時の自分の状況を書いてますが、当時は顔色が悪いなどと思ってもいませんでした。
ただただ、人間関係に悩んで職場に行きたくないだけ、と思っていました。
そのため、妻が何を心配しているのか、全くわからない状況でした。

決定打は妻の訴え

毎日、毎日、人間関係がうまくいっていない会社に行くだけの日々。

上司との連携がうまくいかず、
その影響から残業や早出など、時間外の仕事も余儀なくされていた、ある日のことです。

「時間内に業務をこなすこと、残業や早出はしない」と、上司からのメモ書きが机の上にありました。
この時は、「誰のせいだよ!」と心の中で叫びました。

しかし、勤務時間中に突然、涙が出てきました

なぜかわかりませんが、ジワジワと涙があふれ出てくるのです。

この時は、人前で泣くのが恥ずかしいと思った。
でも、涙がとまらない。

仕方ないから、体調が悪いと偽り、早退しました。

帰宅した時、妻に「どうしたの?」と聞かれました。
「なぜかわからないけど、涙が出てくる。花粉症かな?」と言った後、妻が顔色を変えました。

そして、「お願いだから、病院へ行って!」と真剣に訴えてきました。

その妻からの一言で、「俺、どこかおかしいのかな?」と・・・・

自覚と現実の受け止め

妻からの訴えで病院に行くことをきめ、病院にいきました。

診察結果は【うつ症状】でした。
現状から、「少し会社を休んだほうがよい」と言われました。

翌日、社長と上司に診断書を提出し、休職して療養に入りました。

しかし、
3ヶ月の休職を経ても現状が変らないので、会社との関わりを切ることを考えました。
でも、そうなるとその後の生活など、問題は山積みでした。

それでも妻からは、
「体が壊れてしまってはどうにもならないよ!」と諭されました。

自分を振り返る時間で感じたこと

僕は妻子ある身なので、最後まで退職へ踏み切れませんでした
でも、
妻から「体が壊れてしまってはどうにもならないよ!」と諭され、退職を決意しました

退職をした時は療養中と言うことで、傷病手当金を受給しながらの生活でした。
もちろん、転職先も決まっていないので、不安しかありません。
しかし、今は回復に専念するしかありませんでした。

そして、少しずつ回復していくなか、一つの思いが頭をよぎりました。

「自分と同じように、心を患っていても我慢し続けている人がいるのでは?」と。

実際、
僕も不安があり退職に踏み切れなかったことは大いにあります。
でも、それは本当に危険なことだと身に染みて実感しました。

同じ経験をした人に役立つブログを書こうと思った

不安で退職に踏み切れないことは、今後に悪影響を及ぼしかねない【大きな問題】です。

そこで、
自分の経験を情報として発信していくことで、我慢を続ける人を救えないか?と考えました。

僕が金銭的な悩みを解決させてあげることはできません。
しかし、
自身の経験から、退職後にとるべき行動を伝えることはできます。

それで、退職後の不安を少しでも緩和できないか?と。

実は、退職後にやらなければいけない事はたくさんあります。

健康保険と年金の切替え、失業手当金の受給期間延長など各種手続きを自分で行います。
また、【うつ症状】などで働けない場合には傷病手当金の申請も必要になります。

しかも、各種手続きを各機関に赴き申請します。
「うつ症状」で気が滅入っている時にです・・・・

僕の場合、対人への恐怖心があったので、問い合わせや手続きで人に会うのが辛かった。

そういった経験も踏まえ、
同じ様な被害に遭われてる方が、少しでも問合わせ等の負担を軽減させられないか?と考えました。

それが、文章で情報発信できるブログなら、と思い始めました。

サイト名の【コンパス】に込めた思い

【キャリアコンパス】という名前の由来について。

それは、
働き方や人生設計の道しるべとなる存在でありたい、そんな思いが込められています。

「コンパス」とは方向を指し示すものです

当サイトでは、読者のキャリアの方向性を導きたいと考えています。
転職や退職、職場の悩み解決における羅針盤となることを目指しています。

そして、
キャリアにおける大切な選択肢を導き、人生の航路をしっかりとナビゲートするサイトを目指します。

そんな【キャリアコンパス】は、皆さまの道標となります!

これからブログで伝えたいこと

僕自身、会社での人間関係で大きく悩んだ経験があります。

その経験から、

  • 「心が傷心している」
  • 「些細な行動でも辛くなってしまう」
  • 「コミュニケーションをとるのが苦手」

そんな方々へ、
各手続きや職場の人間関係との向きあい方など、役立つ情報やアドバイスを、被害者目線で発信していきます。

そして、
退職後の生活に不安がある事により、人間関係の悩みを我慢をされている方へ伝えたいことがあります。

【職場の悩みで一生を棒に振らないでください!】

僕は人間関係を悪くして退職を余儀なくされましたが、退職した事には全く後悔していません。

僕は今、前向きに人生を楽しんでいます!

ブログを見に来てくれた方々に、それが伝わるようなブログにしていきたいと思っています。

これから、有益な情報発信ができるよう頑張っていきます。

どうか、
このブログサイト「キャリア・コンパス」をよろしくお願いします!

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▼パワハラ被害者の苦痛とは?▼